センター長書き下ろし
新版・地底旅行
(VOYAGE AU CENTRE DE LA TERRE) (1)

1.序
図1ジュール・ヴェルヌ
「地底旅行」原本より

 フランスの小説家ジュール・ヴェルヌは、19世紀の後半に「気球に乗って5週間」、「地底旅行」、「地球から月へ」、 「海底2万里」、「80日間世界一周」、等々多くの科学小説を発表し、子供から大人まで多数の読者を魅了してきました。 19世紀には夢であったこれら未知の世界への旅も、20世紀中にはそのほとんどが実現されています。しかし21世紀に至った 現在においても、唯一実現困難なのが「地底旅行」(原題では「地球中心への旅」)です。
 ヴェルヌの「地底旅行」では、若い地質学者である主人公とその叔父である著名なドイツの鉱物学者が、古文書をたよりに 地球中心部への旅を試みます。地球内部への入り口はアイスランドの休火山で、この噴火口からロープをつたい、あるいは ころげ落ちながら地下深くへの冒険を続けます。深さ100km を超えると広大な空間と海があり、いかだでこの海を越えてさらに 地球深部への旅をめざしますが、そこには絶滅したはずの太古の生物の世界が出現します。残念ながらより深部への旅は失敗に終わり、 アイスランドからずっと南のエトナ火山の噴火により、主人公たちはいかだもろとも地上に舞い戻ってしまいます。
 この話で興味深いのは、地球の中心は20万度の高温に達し、ガス状態にあるとする当時の常識への挑戦です。地球の表層付近では、 30メートル深くなる毎に温度は約1度C上昇します。地球の半径は6400kmですから、中心部では20万度に達する灼熱の世界である とする考えが当時の学界の主流でした。地下100kmの温度が地表とあまり変わらず、そこには太古の別世界が存在するという ヴェルヌの考えは、残念ながら現在の科学では受け入れられません。しかし一方で、20世紀から現在に至る地球科学の進歩は、 地球の中心が当時考えられていたより実はずっと低い、数千度程度の温度であることを明らかにしました。この点でヴェルヌの考えは、 当たらずとはいえ遠からずであったわけです。
図2 地表におけるプレートの動き
 20世紀後半には地球科学の革命とも称されるプレートテクトニクス説が、多くの新しい観測事実に基づいて飛躍的な発展を 遂げました。この説の概要は、次のようなものです。地球の表層はプレートと称される、厚さ100km程度の10数枚の剛体板 でできていると見なすことができます。プレートには軽い大陸プレートと重い海洋プレートの2種類があります。新しい海洋プレートは 数万kmにわたり海底に横たわる山脈(中央海嶺)下で生じたマグマが冷え固まってつくられます。このような冷たく重い海洋プレートは、 暖かくやわらかいマントル上部をズルズルと横に滑っていき、軽い大陸プレートとぶつかると、その下に沈み込んでいきます。 このようなプレートの動きと相互作用をプレートテクトニクスと称し、これが多くの 地学的現象を見事に説明することから、現在では地球科学の重要な概念として確立されています。
 勿論ヴェルヌの時代にはこのような考えはありませんでした。ここではこのようなプレートテクトニクスなど 現代地球科学の知識をとりいれた、新しい「地底旅行」に皆様をご案内いたします。

2. 出発
 「地底旅行」の鉱物学教授は船でドイツのハンブルグからアイスランドに向かいました。我々も、松山観光港から船で出発することに しましょう。みかん王国の住人としては、当然ながら“オレンジフェリー”をチャーターすることになるでしょう。目指すは海洋 プレートがマントル深く沈み込むためにできる海底の深い溝、“海溝”です。日本列島の東側にはこのようにプレートの沈み込みにより できた海底の谷が、延々と続いています。のんびりしたフェリーの旅でも、2日もあれば日本海溝の真上に到着できるでしょう。
 日本海溝に到着したら、ここで潜水艇に乗り換えなければなりません。
図3「しんかい6500」
JAMSTECホームページより
幸い我が国は、海洋科学技術センター(JAMSTEC)を中心に開発された優秀な深海探査艇を保有しています。有人で6500m まで潜れる“しんかい”と、無人ですが10000m程度まで潜水可能な“かいこう”です。海溝の深さは10000mに達するので、 私たちが乗り換えるのは有人艇に改造された新型探査艇“かいこう10000”ということになります。
 ここで少し圧力についてお話ししましょう。私たちの住んでいる地上の圧力はよく知られているように1気圧です。 圧力は単位面積あたりに加わる力であらわされます。高い山などに登ると、10mごとに1000分の1気圧程度圧力が減少します。
 一方水の中に潜ると、水は空気より重い(密度が高い)のでずっと大きな圧力が加わり、10m潜るごとに1気圧ずつ増加します。海水は真水より密度が高いですから、10000mの深海底では1000気圧を越える高い圧力にさらされることになります。なお地球のマントルの岩石は水よりさらに3倍程度密度が高く、従って約30km 深くなるごとに1万気圧程度圧力が上昇していきます。
 “かいこう10000”による海の旅では、いろいろなめずらしい生物に出会うことができるかも知れません。 このような深海には太陽の光りは届かず、暗黒の世界ですから魚や貝などの生物も日焼けせずに真っ白でしょう。 日本海溝の底についたらいよいよ 地底への旅に向け出発です(次回に続く)。

(本稿は2001年8月に愛媛県生涯学習センターでおこなわれた企画「不思議がいっぱい科学の世界」中の、本研究センター長による 「地球の中をのぞく」と題する講演内容に基づいています。)


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