センター長書き下ろし
新版・地底旅行(最終回)
(VOYAGE AU CENTRE DE LA TERRE) (6)


10. ホノルル滞在  
 さて、ハワイでしばしの休暇を楽しんだ後は、そろそろ日本に戻らねばなりません。大学も独立行政法人化を控え、研究のためとはいえあまりのんびりしていると帰っても居場所がなくなっているかもしれません。ホノルルから日本に戻るには飛行機でひとっ飛びですが、時節がら飛行機で帰るのはちょっと勇気がいります。でもご心配なく。ちょっと時間はかかりますが、安全でしかもタダで日本に戻れる方法があるのです。
 最初に述べたように太平洋など大洋底には延々と数万キロにおよぶ、"中央海嶺"と称される巨大な山脈が横たわっています。太平洋の東南に位置するこのような中央海嶺でつくられた厚さ約100kmの"太平洋プレート"は、東から西へとゆっくりと動きます。キラウエア火山のあるハワイ島付近は"ホットスポット"と称され、その直下のマントル深部には熱いマントル物質のわき出し場所があります。このわき出し場所(ホットプルーム)からは、ときどき部分的に融けた熱い物質が上昇してきて、キラウエア火山のような噴火をひきおこします。
 ホットスポットの位置はマントル中にほぼ固定されているのに対し、表層付近の海洋プレートは少しずつ西にすすみます。このようなプレートの動きとともに、あたかもベルトコンベアーに乗って運ばれるように、ホットスポットの火山も西にゆっくり移動するのです。ハワイ諸島の島が西に行くほど古いのは、このような理由によります。ハワイ諸島の西にはさらにミッドウエー諸島が、さらにちょっと方向を北向きに変え、天皇海山群が延々と連なります。いずれも海底火山が海上に顔を出したものであり、日本列島の北のほうのカムチャッカ半島近くまで続きます。
 これらの火山島は、すべて西に行くほど古い時代にできたものであることが分かっています。
一番東のハワイ島が現在〜100万年程度の年齢なのに対し、ミッドウエー島は1600万年、天皇海山群の一番西の桓武海山が4000万年、真ん中付近に位置する推古海山が5900万年、 一番東の明治海山は7000万年前にできたとされています。どうせなら少し気をきかせて 海山の年齢と歴代天皇の即位順を一致させて欲しかったところですが、残念ながら天皇海山群の命名の頃には、 まだこのようなプレート理論に基づく考えは確立していなかったようです。

11. 帰還  
 ジュール・ベルヌの「地底旅行」では、主人公の鉱物学教授らはエトナ火山の噴火とともにドラマチックに地上に舞い戻り、一躍有名人になります。しかし今回の地底旅行の帰途にははちょっと時間がかかります。太平洋プレートは比較的速度が速いほうですが、それでも一年に10cmくらいしかすすみません。でも料金が要らないのですから、あまり文句はいえません。とりあえず昼は毎日ワイキキのビーチに寝転び、ダイヤモンドヘッドをみながら海水浴。夜はホテルでフラダンス鑑賞かアラモアナでショッピングをしながら時間をつぶすことになります。
 というわけでかなりのんびりハワイ滞在を楽しんでいる間に、いつかは日本の近くまでやってきます。日本海溝の近くにきたら、オレンジフェリーを呼んでおく必要があります。さもなければもう一度、海山にのって地底旅行にでかけることになるかも知れません。しかし多くの場合海山は沈み込めずに陸にぺたぺたくっついてくれるので、オレンジフェリーの乗船拒否にあってもあまり心配は要りません。伊豆半島などは、フィリピン海プレートに乗っかってやってきた海山が日本列島にくっついてできたといわれています。
 さて、オレンジフェリーに無事乗ることができれば、あとは松山まで快適な海の旅が満喫できるでしょう。2日ほど豪華客船の旅を楽しんだら、いよいよ人類最初の地底旅行者として日本中の人々に大歓迎を…受けることになるでしょうか?残念ながら件の鉱物学教授のようなドラマチックな帰還と、家族や友人からの熱烈歓迎はあまり期待できません。なにしろ本地底旅行には2億年ほど時間がかかるので、この大冒険にあなたが出かけたことなど知っている人はもはや誰もいないでしょう(完)。  

(本稿は2001年8月4日愛媛県生涯学習センターでおこなわれた企画「不思議がいっぱい科学の世界」中の、入舩徹男センター長の「地球の中をのぞく」と題する講演内容に基づいています)




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